だるま愛育園のはじまり  新園舎の建築  こども農園  里親  学校  自立に向けて  
 

 内田さんが井戸掘り支援活動でカンボジアに訪れている際、ある村で「子供を育ててくれないか」と依頼されました。井戸掘り支援活動で、有名であった内田さんであれば、何とかしてくれるとの思いだったと思われます。

 内田さんは一度断ったものの、子供たちの肉親が病死していたり、病弱で育てることができないなど、育児に困難な状況であることがわかり、子供たちを引き受けることにしました。最初に引き取った子どもは内田さんの養子として引き取りました。しかし引き取る子どもが多くなり内田さん一人では世話をする事も出来ないようになっていきました。そこで内田さんはこれらの子供を育成するための施設「だるま愛育園」を設立しました。1993年のことでした。以降数多くの子供たちがだるま愛育園で育てられています。
 

 

 カンボジアでは、今も育児を行うには困難な環境です。7歳までの生存率が世界で最も低いとも言われています。だるま愛育園を訪れる子供たちは後を絶ちません。施設はどんどん手狭になりました。

 2000年に新しい建物を建てる事を決意し、支援者に呼びかけました。沢山の方々の協力があり、2005年には念願であった新しい建物が完成しました。
 

 



  孤児院を運営していくためには、沢山の費用がかかります。多くの支援者が支えてくれていますが、ただ甘えているばかりでは、子どもたちが本当の意味で自立していくことはできません。そこで、生活そのものも少しでも自給自足に近づけるよう、農園を手に入れることを決意しました。
 2005年6月にコンポンクディ パトゥートゥムラに500坪の土地を購入したのを手始めに、今では2haに広げました。5haの確保を目標にしています。2006年に田植えと稲刈りをみんなの力で行ないました。

 

「だるま愛育園」で過ごすこども達は肉親が育てる事は極めて困難な状況にあります。又、両親を失っている子もいます。こども達には親が必要です。内田さんを「お父さん」、園長のソリカーさんを「お母さん」と呼び、家庭的な雰囲気で営まれていますが、実際にこども達一人ひとりを支える里親を募集しています。

 年間36,000円で一人の子どもの衣食住がまかなわれ、学校にも通う事ができます。
 

 カンボジアの学校は日本と同様に6歳からが義務教育です。しかし、実際には内戦の混乱以降、学校に通えない子どもが沢山います。そのため、6歳からに限らず、何歳からでも1年生として受け入れています。同じ学年でも年齢はマチマチです。

 しかし、せっかくだるま愛育園で受け入れても親族が来て子どもを連れ帰り、家で仕事をさせたりするようなことが出てきました。カンボジアの就学率はまだ高くはないのです。貧しい家庭の子どもは学校に行く余裕がなく、家の手伝いをさせられたり、ひどいときには風俗産業で働かされたりもするのです。そこで内田さんは、カンボジアの教育省に相談し、だるま愛育園の子どもの親族が勝手に連れ帰って教育の機会を奪う事がないようにしてもらいました。

 さて、学校教師の給料は残念ながら決して高いものではありません。ただし、テキストに使うプリント等を独自で作って生徒に購入してもらうならば、その収入はそのまま教師のものになるのだそうです。そのため、学用品代だけでなくプリント代等も必要となります。
 

 だるま愛育園では、子どもたちが園を巣立った後にどのようにして自立していくのかを考えていかなければなりません。まともな仕事に就けなければ、子どもたちの未来は決して明るいものではないからです。そこで、学校教育以外にも、将来仕事に役立つような事を身に付けるための訓練に力を入れています。

 ひとつは「カンボジア舞踊」とそれに必要な「楽器の演奏」です。カンボジア舞踊の先生は体罰を行う事も一般的に見られます。できるようになるまで、何度でも体で覚えなくてはならないからです。厳しいようですが、自立のためには必要な事なのです。カンボジアでは大人には「子どもを叱る義務」があり、子どもには「叱ってもらう権利」があるのだそうです。愛情に裏打ちされていないとちょっと怖い話ですが、見てみぬ振りの多い今の日本には欠けていることなのかもしれません。

 そしてもうひとつは、「外国語の習得」です。カンボジアの主要産業は観光です。ホテルや交通や案内など、観光の様々な場面で外国語が必要です。そのためだるま愛育園の子ども達は今から英語と日本語を学んでいます。